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タルボットの写真も買える見本市に初めて行ってきた

パリフォト&フォトフィーバー報告

 パリで毎年11月に開かれている非常に有名な写真の展示即売会に初めて行ってきた。第21回「パリフォト(Paris Photo 2017)」と第6回「フォトフィーバー(fotofever paris 2017)」の二つだ。

 ★パリフォト=日程:11月9日〜12 日、会場:明治44年の第5回パリ万博のために建てられたグランパレ(Grand Palais)、出展ギャラリー・出版社・書店数:190社(31カ国)、予想入場者数:6万人。  

 ★フォトフィーバー=日程:11月10日〜12日、会場:ルーブル美術館に近いカルーゼル・デュ・ルーブル(Le Carrousel du Louvre)という地下のショッピングセンター、出展ギャラリー数:73社(19カ国)、予想入場者数:7万人、メインターゲットは写真収集の入門者たち。

 なぜ初めてだったのか。正直に白状すると、つい3年ほど前まで、このような展示即売会があることを全く知らなかったからだ。第6回フォトフィーバーは歴史があまりないので、知らない人も多いだろうが、パリフォトはもう21回目なので、私のように40年以上もカメラ業界誌の発行に携わってきた者なら、知らないほうが、むしろ、おかしいだろう。しかし、私の場合は、この2つの展示即売会はおろか、今年48回目を迎えた、あの有名な「アルル国際写真フェスティバル(Les Rencontres d’Arles)」(日程:7月3日〜9月24日、会場:アルル)や、今年29回目を迎えた報道写真フェスティバル「Visa pour l'image(ヴィザプーリマージュ)」(日程:9月2日〜17日、会場:ペルピニャン)もつい最近まで知らなかった。だから、面目ないが、当然、行ったことがない。

 というわけで、フランス人の前でも、日本人の前でも、写真の正しい見方だとか、写真はこうあるべきだとか、そんな偉そうな口はきけないわけだが、上記のような有名な写真イベントの存在を知らなかったことを、実を言うと、私自身はあまり恥ずかしいとは思っていない。  

 なぜなら、私にとっての写真とは、説明文がついておらず、従って撮影意図がよく分からない写真ではなく、少なくとも2〜3行、できれば読みきれないくらいの説明文がついている写真だけだと思っているからだ。もちろん、このような理想的な写真が展示されている写真展に出会ったことはまだ一度もないが、文章で何かを伝えることを職業にしてきた人たちはみんな私と同じ考えを持っているはずだ。

 だから、色んなところから写真展の案内を頂いても、ワクワクなど全くせず、また、パリフォトやフォトフィーバーを見逃していたからといって、あまり残念とも、恥ずかしいとも思わなかったわけだ。

 ただ、何のキャプションもついていない写真の前で釘づけになり、立ち尽くしてしまった経験が一度だけだが、あった。それは、今年10回目を迎えたフランス最大の写真機材展「ル・サロン・ドゥ・ラ・フォト(Le Salon de la Photo)」(今年の日程:11月9日〜13日、会場:モンパルナスから地下鉄12号線で10分くらいのポルト・ドゥ・ベルサイユ(Porte de Versailles)駅のすぐ近くにある 見本市会場”Paris Expo”)に6年前の2011年11月に初めて行ったときだった。  

 この展示会は日本のCP+やフォトキナとあまりにも違ったので、今も強烈な印象が残っている。それは展示会場のなかに機材メーカーのブースだけでなく、数多くの写真団体のブースも同時に並び、プロ写真家たちの叫び声が聞こえてくるような感動的な写真、あるいは国家や企業や社会の間違った姿に警鐘を鳴らすような、メッセージ性の非常に高い写真が沢山展示されていたからだ。それで、心底、感心し、また、羨ましくも思ったわけだが、多分、日本のCP+が同じようなスタイルの展示会になることは、100年経ってもないだろう。日本に優秀な写真家と同時に優秀な写真鑑賞者が育つ日がそう簡単にくるとは思えないからだ。

 特に、パリフォトにやってくるお客さんたちの多様性を見て思ったことだが、写真文化はつけ焼き刃的な学校教育ではなく、日常生活のなかで育つものだと痛感したからだ。パリフォトを見て特に驚いたのは、よちよち歩きの子供を連れた家族を何組も見かけたことだ。また、会場で見かけるお客さんは、若い人もお年寄りも、ほとんどが夫婦か恋人だ。逆に翻って、日本の写真展はどうだろう。子供の姿を見かけることはまずなく、お客さんの大半は関係者か義理堅い大人たちだけだ。だから、日本では家庭や職場、学校、カフェ、レストランなどで日常的に写真が話題になることはまずないはずだ。  

 ところで、私が2011年のル・サロン・ドゥ・ラ・フォトで釘づけになったのは、どんな写真だったかというと、幼い兄と妹が肩を寄せ合って、窓の外を虚ろな目でぼんやりと見つめている写真だった。もちろん、現物を見ていただかないと、ピンとこないと思うが、このようなメッセージ性の高い写真に出会ったのは、後にも先にも、このときだけだ。ということは、日本のカメラショーや、米国のPMAショー、ドイツのフォトキナ、また北京のChina P&Eやソウルのフォト&イメージングショーでも出会ったことがなかったということだ。

 しかし、今年のル・サロン・ドゥ・ラ・フォトにはガッカリした。6年前に感じられた魅力がすっかり失われていたからだ。展示会場のなかに写真団体のブースを沢山並べる設営スタイルは今年も踏襲されていたが、そこに展示されていたプロ写真家たちの写真は呆れるほど質が落ちており、叫び声のようなメッセージが聞こえなくなっていたからだ。6年前と一番大きく違っていたのは、プリントサイズが極端に小さくなり、格調の高さがなくなっていたことだ。そして、展示されていた写真から聞こえてきたのは、見る人の心に響く、真面目な叫び声ではなく、不愉快な叫び声ばかりだった。平和や正義や愛を訴える叫び声ではなく、写真を屋台のバナナと同じような感覚で叩き売っているような叫び声ばかりだった。

 ご推察の通り、私が今回パリフォトやフォトフィーバーを見に行ったのは、6年前のル・サロン・ドゥ・ラ・フォトで出会った写真に感動したからであり、また、写真に特化したショーなら、機材中心のショーよりも質の高い写真に沢山出会えると思ったからだ。しかし、期待は完全に裏切られた。もちろん、どちらのショーも素晴らしいと絶賛するむきも、きっと、あると思うが、文章ないし音声による解説のついた写真しか理解できない私にとっては、どちらのショーも退屈でしかたがなく、せっかくの展示即売会なのに、購買意欲など、もちろん湧かなかった。だから、来年の取材をどうしようか、いま迷っているところだが、もう一度か二度くらいは行って、写真が秘めた力や可能性を確かめてみたいという気持ちはまだ持っている。   

 なぜなら、写真には間違いなく、社会を動かす力があると思うからだ。2015年のカメラグランプリの表彰式でのことだが、TIPAの代表として挨拶したPiX Magazine社(南アフリカ)の女性編集者、ルイーズ・ドナルド(Louise Donald)さんは「写真が自分たちの国の歴史に深い役割を果たしてきたことを痛感しています」と前置きして、写真が秘める力の大きさを、こう語っている。  

 「1976年6月、ソウェト (Soweto)蜂起の光景を写し出した1枚の写真が南アフリカ史において、極めて重要な1日を記すものになりました。動かぬ証拠を示す写真の力が、声なきものに声を与えたのです。政府当局による画像や文字の厳しい情報統制のなかで、たった1枚の写真が真実を物語ったのです。写真メディアの力は絶大で、多くの写真を通じ、南アフリカにおけるアパルトヘイトの暗い真実が世界の人の目に晒され、この地に変化をもたらす、きっかけとなりました(以下省略)」

 この1枚の写真とは「ソウェト蜂起」のとき、警察官に撃たれて死にかけている少年を両腕に抱えて泣きながら走ってくる年長の少年と、その二人に付き添って、やはり泣きながら走ってくる、死にかけている少年の姉の3人が写っている写真だが、この写真にしても、説明を読んだり、聞いたりしないと、いったい何を訴えようとしている写真なのか、絶対に分からないはずだ。  

 先日、東京ミッドタウンのフジフイルムスクエアで60点に及ぶアンセル・アダムス(Ansel Easton AdamsⅡ/1902〜1984)の貴重な写真を見てきたが、残念ながら、どの写真からも写真家の叫び声のようなものは聞こえてこなかった。8×10という巨大なカメラを重たい三脚に載せ、苦労して撮ったものばかりのようだが、なにせ、ほとんどが誰でも撮れそうな風景写真なので、叫び声など聞こえるはずがないわけだ。この偉大な写真家は常日頃から、写真に説明は必要ないと言い切っていたそうだが、それは当然だ。これは富士山やペット、野鳥、昆虫、草花、女性のヌード写真に説明が要らないのと同じことだ。  

 ところが、何のメッセージも伝わってこないアンセル・アダムスの風景写真が何億円とか、何千万円で売られているというから、耳を疑ってしまうが、写真の見方には色々あるということだろう。私は仕事柄、展示会のブースとか、記者会見、インタビューの写真くらいしか撮ったことがないが、逆に、写真を骨董品か、投資対象、美術工芸品と同じような感覚で見ている人もいるということだろう。

 パリフォトやフォトフィーバーに展示されている写真もほとんどがアートもどきの写真だ。だから、退屈なこと極まりなく、そんな偽物のアートを見る暇があったら、ルーブルや、オルセーや、オランジェリーに行ったほうが、よほど有意義だと教えてあげたいくらいだが、写真と称されるものに、アートもどきの写真が多いのは、アートが好きな写真家が多いからではなく、本物では勝負できないので、仕方なく、偽物の世界に逃げこむしかなかった写真家が多いということではないだろうか。写真とアートの違いは、見ているうちに飽きてしまうか、いつまで見ていても飽きないかの違いだ。  

 もちろん、パリフォトやフォトフィーバーの主催者たちは写真家たちのことをアーチストだと、おだて上げている。パリフォトの主催者に至っては、この展示即売会を「世界有数の写真のアートフェア」だとさえ言っている。その上、箔をつけるためか、作品カタログの表2に続く見開きページの片面をフルに使って、「マクロン大統領ご公認」のお墨付きまで載せている。それで、写真家たちも自分たちのことをアーチストだと錯覚してしまうのかもしれない。しかし、それは大きな間違いだ。なぜなら、写真は絶対にアートにならないからだ。

 言うまでもなく、アートは創造されたものだが、アートもどきの写真は創造ではなく、加工されたものにすぎないからだ。だから、高度なデジタル処理技術を駆使してつくられたアートのような写真も、偽物を本物のアートに見えるように加工したものにすぎないということだ。

 アーチストもどきの写真家のなかには、コンピュータ処理でなく、プリントを折り曲げたり、切り裂いたり、カッターナイフで傷つけたりしてアートだと、こじつけている厚かましい写真家がいたり、あるいは、写真を自分では1枚も撮らずに、ネットから他人の写真を何枚もダウンロードして、それを重ね合わせ、全く別物に作り変えてアートだと言っている不届きな偽アーチストもいて呆れてしまうが、彼らの偽アート写真が2000ユーロとか、3000ユーロで堂々と売られているのを見ていると腹が立ってくるくらいだ。多分、珍品やゲテモノのコレクターたちもパリフォトやフォトフィーバーにやってくるのだろう。  

 これは私の独断と偏見かもしれないが、言論の自由が規制されている国、あるいは表面上は規制されていないのに、保身のために自発的に自己規制してしまう国の写真はアートもどきの写真ばかりだ。これは中国、韓国、日本に共通する傾向だが、これらの国では、これからもずっと「見ざる、言わざる、聞かざる」のDNAに縛られたアートもどきの写真ばかりを見せられて、ウンザリさせられるに違いない。

 ただ、パリフォトやフォトフィーバーを一度でも見た人は、写真はこうあるべきだと決めつけてはいけない、と思うようになるはずだ。特にパリフォトでは、販売されている写真家の数が3389人と、あまりにも多いので、写真は百人百様であるのが、むしろ当然であり、従って、他人の目を気にせず、何でも自由に撮ればいいと思うようになるはずだ。  

 今年の春、澁谷の文化村でロベール・ドアノーの孫娘が監督したドキュメンタリー映画「パリが愛した写真家/ロベール・ドアノー(永遠の3秒)」を見たが、 映画のなかのインタビューで孫娘がおじいちゃんに対して、こんな質問をしている。「写真で一番大事なのは何?」 。さて、何と答えたでしょう。答えは「ピントだよ」。思わず、笑ってしまったが、つまり、どんな写真であろうと、ピントが合ってさえいればいい、ということになるわけだが、確かに、昔の重たい、マニュアルフォーカスの、ピントがなかなか合わないカメラを使ってみると実感する返答だ。  

 今年は創立100年のニコンミュージアムでデビッド・ダグラス・ダンカン(David Douglas Duncan/1916〜)が愛用していたニコンFにも触ってみたが、カメラとレンズが重く、そして、もちろん、AF機でもないので、やはりピントがなかなか合わなかった。だから、ダンカンのようなプロカメラマンには絶対になれないと思ったくらいだが、しかし、今はもう、みんなが自称カメラマンだ。

 言うまでもなく、これはカメラのAF化とデジタル化のおかげだが、逆にもし、まだマニュアルフォーカスの時代が続いているとしたら、自称カメラマンが巷にあふれることはなく、従って、偽アーチストたちが、我が物顔でのさばる、何でもありの時代にもならなかっただろう。  

 もちろん、何でもありが悪いと言っているわけではない。言うまでもなく、パリフォトも何でもありの見本市だが、何でもありとは、決して玉石混交という意味ではなく、懐が深い、あるいは広いという意味だ。それは、パリフォトの作品カタログを見ると、よく分かるだろう。

 何しろ、写真史に残る偉大な写真家たちの名前が、いくらでも出てくるからだ。残念ながら、ダゲレオタイプのダゲール(Louis Jacques Mandé Daguerre/1787~1851)やニエプス(Joseph Nicéphore Niépce/1765~1833)の名前は載っていないが、世界初の写真集「自然の鉛筆(The Pencil of Nature)」で有名なヘンリー・フォックス・タルボット(Wiliam Henry Fox Talbot/1800~1877)や、近代写真の父と呼ばれているアルフレッド・スティーグリッツ(Alfred Stieglitz/1864~1946)、あるいはタルボットより早くカロタイプの開発に成功したのに、発明者としての手柄をタルボットに横取りされてしまったイポリット・バヤール(Hippolyte Bayard/1800~1887)の名前まで載っているので脱帽するしかないが、実はカタログをよく見ると、超有名なのに、名前が載っていない写真家も案外多いことに気づくはずだ。だから、ちょっと片手落ちの観もあるので、パリフォトは必ずしも何でもありのショーではないわけだ。

  例えば、ニコンを世界のニコンにした、あの有名なダグラス・ダンカン(David Douglas Duncan/1916~)の名前が載っていない。多分、これは血なまぐさい戦場写真をリビングに飾る人など、いないからだろう。ダンカン自身、血の色を見るのが嫌だからという理由で、戦場ではカラー写真を1枚も撮らなかったそうだが、それにしても、戦場写真に対するパリフォトの冷遇ぶりは異常なほど徹底している。酒井淑夫、沢田教一、長尾靖。これら3人の日本人はピューリッツァー賞に輝いた有名な戦場写真家だが、彼らの名前もやはりパリフォトのカタログには載っていない。参考までにと思って、過去20年にわたるピューリッツァー賞の受賞者もチェックしてみたが、誰ひとりとして、パリフォトのカタログには載っていなかった。例えば、この賞の代表的な受賞者としてよく知られているフィン・コン・ウト(huynh Cong Út/1973年にピューリッツアー賞受賞)はベトナム戦争のときに、裸で逃げてくる少女を撮った「戦争の恐怖」という写真で一躍、スターになった報道写真家だが、彼もまたパリフォトとは無縁だ。だから、多分、パリフォトのカタログに載っている戦場写真家はマグナム・フォトロバート・キャパRobert Capa/1913〜1954)くらいだと思うが、ただし、彼の写真を売っているギャラリーにしても非常に少なく、パリにあるマグナムの直営ギャラリーを含めても3社だけだ。

 そして、何億円、何千万円で売れる作品もあるアンセル・アダムスの所属ギャラリーが2社しかないのも不思議だ。多分、これは販売権の取得自体が難しいからだと思うが、言うまでもなく、所属ギャラリーが少ないからと言って、人気がないと決めつけてはいけないだろう。ちなみに、パリフォトのカタログに名前が載っている写真家3389人のうち、78.8%に当たる2672人は所属ギャラリーが1社しかない写真家だ。しかし、その人たちのなかにも、そのギャラリーが看板スターとして期待している写真家、あるいは、育てようとしている写真家が案外多いようだ。例えば、ギャラリーが代表選手として期待している写真家はカタログに名前だけでなく、作品も同時に載っている。もちろん、そういう写真家は非常に少なくて、3389人のなかの192人(6%)だけだが、そのなかの90人は所属ギャラリーが1社の写真家だから、無名だが、輝いている写真家が案外多いということになるわけだ。ちなみに、日本人写真家のなかにも、カタログに名前と作品の両方が載っている看板スター的な写真家が13人いる。参考までに紹介すると。  

 ★森山大道(所属ギャラリー15社/生〜没年1938〜)★荒木経惟(同10社/同1940〜)★杉本博司(同7社/同1948〜)◉山本昌男(同7社/同1957〜)★深瀬昌久(同4社/同1934〜2012)★川内倫子(同4社/同1972〜)★野村佐紀子(同2社/同1967〜)◉横田大輔(同2社/同1983〜)◉大西茂(同1社/同1928〜1994)★山本悍右(同1社/1914〜1987)◉石川真生(同1社/1953〜)◉Masafumi Maita(同1社/漢字名・年齢不明)◉Katsunobu Taguchi(同1社/漢字名・年齢不明)。  

 ★印はウィキペディアの「日本の写真家一覧」に出てくる写真家、◉印は写真家一覧に出てこない写真家だが、★印が7人、◉印が6人で、ほぼ半々。実はカタログに載っている日本人写真家のなかには私が知らない写真家が非常に多いので、とても不思議だが、多分、日本には写真を売買できるギャラリーがあまり多くないので、海外に活路を求める日本人写真家が多いということではないだろうか。

 というわけで、パリフォトとフォトフィーバーの出展ギャラリーを国別に数えてみることにしたが、やはり予想通りだった。まず、パリフォトだが、圧倒的多いのが、やはりフランスで、190社中の63社、以下、アメリカ40社、ドイツ35社、イギリス13社、日本12社、イタリア8社、スイス7社、スペイン、中国各5社、デンマーク、ベルギー各4社、オランダ、ハンガリー、アルゼンチン、ウルグアイ各3社、ポルトガルギリシャオーストリア各2社、ルクセンブルグスエーデンポーランドフィンランドエストニアキューバ、インド、イラン、カタール、カナダ、南アフリカイスラエル、台湾各1社。<注>パリフォトには31カ国から190社のギャラリー、出版社、書店が出展したが、展示ゾーンが3つに分かれているので、上記集計数字には重複分も含まれている。香港は中国に入れた。

 次いで、フォトフィーバーだが、やはりトップはフランスで、73社中の33社、以下、日本10社、スペイン6社、イタリア、アメリカ各3社、ドイツ、スイス、ベルギー、台湾各2社、ポーランドギリシャ、マルタ、トルコ、オランダ、スロベニアカメルーン、オーストラリア、韓国、香港各1社。<注>フォトフィーバーの出展者数は19カ国の73社。日本からの出展が意外に多いが、こちらは主催者が市場拡大を狙って、アジアの写真家発掘に力を入れ始めたせいだろう。

 実はパリフォトとフォトフィーバーの期間中はギャラリーが沢山あるサンジェルマン地区で「フォトサンジェルマン(Photo Saint Germain)」(会期:11月3日〜19日)という写真の展示即売会も開かれるのが恒例になっているが、このイベントに参加するギャラリーだけで、何と42店だ。要するに、フランスには写真文化を育てる大きな受け皿があるわけだ。だから、写真家を目指すならパリということになるのだろうが、現に、フォトフィーバで出会ったタケシ・スミというユニークな青年写真家もパリ滞在5年だと言っていた。彼がパリに来たのは、雑音に煩わされないで、作品制作に集中したいからだそうだが、彼は相当に自惚れがひどく、「僕の写真は将来、絶対、値上がりしますから、いま買っておくべきですよ」と何回も何回も買わせようとするので、困ってしまったが、その積極さには逆に感心もした。なぜなら、写真機材の展示会でこれほど熱心に商品の売り込みをかけてくる説明員に出会ったことがなかったからだ。ただ、彼の作品も私の目にはアートもどきにしか見えなかったので、いくら薦められても、買う気にはならなかった。

 パリフォトのカタログを見て驚いたことがまだある。日本で有名な写真家の名前がほとんど出てこないことだ。例えば、上野彦馬や下岡蓮杖は仕方がないとして、名取洋之助、渡辺義雄、入江泰吉土門拳秋山庄太郎林忠彦、中村正也、大竹省二、三木淳、篠山紀信白川義員田沼武能、熊切圭介、三好和義織作峰子の名前も出こない。かろうじて出てくるのは、木村伊兵衛(所属ギャラリー2社)、立木義浩(同1社)くらいのものだから、とても不思議だ。日本の大物写真家たちはきっと、外需を当てにしなくても、内需だけで十分食べていけるのだろう。

 逆に、欧米の写真家たちは不公平じゃないかと思ってしまうくらい優遇されている。例えば、アンセル・アダムスはポール・ストランド(Paul Strand/1890~1976)の作品に感銘を受けて写真家になろうと決意したそうだが、 パリフォトのカタログには、このポール・ストランドという、私など、全く知らなかった名前まで、ちゃんと載っているではないか。しかも、彼のお抱えギャラリーは5社もある。また、来年のCP+2018と併催される「フォト・ヨコハマ2018」のポスターの写真はマグナム・フォトの会員として、また、アンリ・カルティエブレッソンの奥さんとしても有名だったマルティーヌ・フランク(Martine Franck/1938~2012)が撮ったものだが、彼女の名前もパリフォトのカタログにちゃんと載っている。しかも、お抱えギャラリーが3社もあって、恵まれている。

 しかし、お抱えギャラリーの数が3社とか5社程度で驚いちゃいけない。その数が15社というもの凄い人気の写真家もいるからだ。もちろん、そんな人は一人だけだが、日本の現役写真家、森山大道だ。不気味な野良犬の写真を始め、撮影意図がまるで分からない写真が多いが、とにかく、写真は何でもありが基本なので、素直に評価したほうがいいのだろう。

 ちなみに、お抱えギャラリーが5社以上の写真家は3389人のうち77人だが、そのなかに日本人が9人いる。荒木経惟(お抱えギャラー10社)、須田一政(同9社)、東松照明(同9社)、杉本博司(同7社)、細江英公(同7社)、山本昌男(同7社)、石内都(同6社)、杵島隆(同5社)、柴田敏雄(同5社)の9人だが、荒木経惟よりお抱えギャラリーの数が多いのは、アンドレ・ケルテス、マン・レイエリオット・アーウィット、マーチン・パー、ウイリアム・クライの5人だけ。あの有名なロバート・フランクリチャード・アベドンダイアン・アーバスアービング・ペン、サラ・ムーン、エドワード・スタイケンエドワード•ウエストン、ウジェーヌ・アジェ、アンリ・カルティエブレッソン、そして、今年のル・サロン・ドゥ・ラ・フォトのメインゲストとして招かれた、「神の眼を持つ」と敬われているセバスチャン・サルガドでさえ、所属ギャラリーの数においては荒木経惟よりも格下だ。  

 しかし、パリフォトのような世界的な展示会で高い評価を受けられるのは、ごく限られた人たちだ。お抱えギャラリーの数でランキングをつくってみると、その上位のランクにマグナム・フォトの大物会員たちが沢山出てくるが、マグナムの92人の会員(故人が24人)のうち1人はお気の毒にも、お抱えギャラリーが1社もないではないか。そして、92人のうち43人はお抱えギャラリーの数がマグナムの直営ギャラリーただ1社だけというのが寂しい実情だ。だから、写真家という職業は決して経済的に楽ではないはずだが、それでもいいから、どうしても写真家になりたいという人は、ギャラリーの少ない日本でなく、せめて、ギャラリーが多く、また、写真を見る眼が確かな人が多いフランスに活躍の場を求めるべきだろう。

 もちろん、フランスに行くなら、その前にフランス人の写真を見る眼が本当に確かなのかどうかを、しっかり確認してからにしてほしいが、少なくと私は今回のパリフォトへ行って、それが「確かだ」ということを確信することができた。なぜかというと、パリフォト2017が開かれたグランパレで、もう一つ、写真のビッグイベント、アービング・ペン(Irving Penn/1917~2009)の生誕100周年記念回顧展(会期:2017年9月21日〜2018年1月29日)が開かれており、会場の国立ギャラリー(Galeries Nationales)の前に長蛇の列ができていたからだ。多分、日本ではアービング・ペンの写真展が開かれても、長蛇の列ができることはないだろう。   

 また、パリフォトのほうも「早く行って並ばないと入れないよ」とさんざ脅かされていたので、フランス人は間違いなく写真が好きな国民だ。実はこのパリフォトに行くとき、あまりにも急いでいたので、途中、偶然、出くわしたアービング・ペンの行列を迂闊にもパリフォトの行列と間違えてしまったくらいだ。幸か不幸か、パリフォトのほうは全然待たずに入れたので、何だか、パリフォトの主催者が気の毒になったくらいだが、3時間ほどあとにパリフォトから出てきたとき、また驚いてしまった。国立ギャラリーの前に相変わらず長蛇の列が続いていたからだ。いうまでもなく、私がパリフォトに行ったのは、アービング・ペンの写真展が始まって50日ほど経っていた頃だから、フランス人の写真に対する感心の高さは、日本人の想像を絶すると言ってもいいだろう。

 余談だが、アービング・ペンの画像をネットで検索していたら、彼がチノンの一眼レフ「CE-4」を構えている写真が出てきた。「弘法筆を選ばず」だ。  

 それにしても、どうしたら、フランス人のように写真が好きになるのだろう。特に、最近の写真は何でもありなので、理解するには、ものすごい勉強が必要だと思うが、フランス人が勉強を強制されているふしは全くない。その代わり、不勉強な人にとって、パリフォトはとても敷居の高いイベントだ。しかし、パリフォトは勉強を強制はしない。不勉強な人は無理して来なくてもいいよ、というスタンスのイベントだ。そのせいか、入場料が高い。アービング・ペンの回顧展は13ユーロだったが、パリフォトは平日32ユーロ、週末35ユーロ、カタログは25ユーロだ。だから、私は無料のプレスパスをもらおうと思って、ネットであれこれ申し込んでみたが、全く歯が立たず、早々とギブアップせざるを得なかった。

 ちなみに、ル・サロン・ドゥ・ラ・フォトのほうは、ほとんどフリーパスみたいな状態で、すぐに無料のプレスパスをもらうことができたが、パリフォトは審査が非常に厳しく、あの鉄壁のCESやIFA、そして最近のフォトキナも問題にならないくらいの厳しさだった。

 例えば、パリフォトの審査をパスするには「あなたはパリフォトの宣伝にどのような貢献をこれまでにされてきましたか」という厳しい質問に答えないといけない。だから、私に無料のプレスパスが送られてくることは永久にないだろう。パリフォトは「どなたでもどうぞ」という気楽なイベントではないわけだ。  

 最後に、本来なら、二つの展示即売会に展示された作品の紹介や、ギャラリーの紹介もすべきだろうが、残念ながら、私には写真を見る眼がないので、それはやめて、ちょっと気になった写真家の名前とギャラリーの名前だけ紹介して、あとはネット検索して頂くことにしたい。

 ギャラリーで名前が気に入ったのは「KOBE 819 GALLERY」。「819って?」と尋ねたら「僕の誕生日です」とギャラリーの若いオーナー、野元大意さん。彼に教えてもらったことだが、819はタゲレオタイプが発表された日でもあるそうだ。ちなみに、私が今回宿泊したパリのホテルは、その昔、ダゲールが住んでいたモンパルナスのダゲール通りにあるダゲールホテルだ。何かの縁だろう。   

 もう一つ気に入ったギャラリーは東京都台東区東上野にある「ミンナノギャラリー」。そして、そのギャラリーのブースに作品を展示していた西村陽一郎さんも気になる写真家だ。いわゆるフォトグラムとスキャングラムという手法を使って作品を制作している写真家だが、カメラは全く使わないので、厳密には写真家と言わないほうがいいのかもしれない。フォトフィーバーの会場に飾られていた巨大なヌード写真はレンズを通したものではなく、いわゆるフォトグラムという手法で印画紙に直接光を当てて制作したものだ。地元の新聞にも取り上げられ、ちょっとした話題になったそうだ。

 スキャングラムもやはりカメラは使わず、スキャナーで画像を取り込み、赤い花を青色に反転して出力する手法だ。怪しげな青色の花の写真に立ち止まる人が結構いたので、気になる人は一度、ネットで検索してみるといいだろう。ミンナノギャラリーのディレクター、田森葉一さんも好青年だったので気に入った。

 写真家の森下和彦さんは東京都台東区寿の「風ギャラリー」のオーナーでもあるが、作品は全て風景の合成写真。合成という手法を取り入れたのは、より理想に近い風景を生み出したいからだろう。彼はプリントの色にも徹底的にこだわっている。まるで、日本画のようなシットリとしたとした色合いが気に入ったので、いつか、彼のギャラリーを訪ねたいと思っている。  

 もう一つ、いつか訪ねてみたいギャラリーは「INTERART 7」 。「作品にカメラや絞りのデータまで添付しているバカがいる」というオーナーの小林貴さんの言葉が気に入ったからだ。

 未来の大物、タケシ・スミくんの検索も是非やってみてほしい。もしかすると、本人が言う通り、いつか本物の大物作家に化けるかもしれないからだ。  

 以上はフォトフィーバーで出会ったemerging artist、つまり新進写真家たちなので、誰もパリフォトのカタログには載っていないが、パリフォトの出展写真家も二人だけ紹介しておこう。

 一人はYossi Milo Gallery所属のMeghann Riepenhoff(1979年生まれの米国人)。Three Dynamic Cyanotypesという手法でポートレート写真を繊維織物のようなマチエールの写真に仕上げたものを壁には飾らず、テーブルの上に山のように積み上げて懸命に命に売り込んでいたが、さすがに展示即売会だけあって、出展者たちはみんな真剣だった。しかも、実際に売れていた。  

 もう一人はカナダ・トロントのStephen Bulgerというギャラリーが販売権を持つSarah Anne Johnson(カナジ人/1976年生まれ)という写真家。パリフォトのブースに「Glittering Sunset 1」(68,58×48,26cm)という作品を6000ドルで出していた。顔料インクでアーカイバルペーパーにプリントし、その上にビニールを貼りつけ、そのビニールにナイフか何かで切れ目を入れた、お決まりのアートもどきの作品だが、制作した本人は何とかキラキラ光る夕日の感じを出そうと、大真面目に取り組んでいることが分かる作品だったので、半ば同情心で紹介した写真家だ。果たして、こんなアートもどきの作品が6000ドルで売れるのかどうかは見当もつかないが、神の眼を持つ写真家、セバスチャン・サルガドの作品はどうかというと、別にどうってことのないポートレート写真なのに、1万500ドル(19.5×24インチ)と1万7700ドル(23.5×35.5インチ)の値段がついていた。もちろん、サルガドが決めた値段ではないと思うので、責める気はないが、写真文化が生み出している、何だか華やかそうに見える市場も、本当は常識では考えられないほど特殊で異常な世界なのかもしれない。(有限会社エイブイレポート社 代表取締役 吉岡伸敏 記/2017年12月18日)

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パリフォトは8年前からグランパレで開かれるようになった。

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パリフォトのカタログは3.3cmもあって、25ユーロもする。

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パリフォトの期間はサンジェエルマンのギャラリー42店も即売会を開く

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私が宿泊したダゲール通りのダーゲールホテル。三ツ星だが、モンパルナスの駅に近くて便利。すぐ近くにラーメン屋とお寿司屋さんがある。

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ヨチヨチ歩きの子供を連れた家族が多いのに驚いた。

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パリフォト会場のグランパレではアービング・ペンの回顧展も開かれていた。長蛇の列ができ、人気はパリフォトを上回るくらいだった。

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パリフォトで紹介されていたMeghann Riepenhoffさんの作品。織物ではなく3 Dynamic Cyanotypesという手法で作られたポートレート写真だ。

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 パリフォトで紹介されていたSarah Anne JohnsonさんのGlittering Sunset 1という作品。プリントにビニールを貼りつけ、それに傷をつけて、キラキラ感を出そうとしている、ちょっと健気な作品なので、不本意ながら紹介することにした。

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パリの街のなかにもパリフォトのデジタルサイネージュを見かけた。

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「神の眼を持つ」と言われるセバスチャン・サルガドはサロン・ドゥ・ラ・フォトのメインゲストとして招かれ、会場の2カ所で写真展が開かれた。トークステージも黒山で、お客さんは部屋の外にまであふれ出した。

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サルガドの作品が展示されたパリフォトのブース。平凡なポートレート写真だが、1万500ドル、1万7700ドルの値段がついていた。

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パリフォト会場。ドームの天井がとてもお洒落だ。

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写真が大好きなフランス人も疲れるのは日本人と同じらしく、ベンチはみんな満席。

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これはパリフォトとは無関係なサービスの1枚。ロベール・ドアノーの有名な「パリ市庁舎前のキス」の舞台。そう、本物のパリ市庁舎。